泣いたり、怒ったり、
なんだかモヤモヤして
うまく言葉にならん日もあるじゃろう。
たとえばじゃな、
誰かにわかってもらえなかったり、
相手が思うように動いてくれなかったり、
自由になりたいのになれなかったり、
はたまた、あと一円足りんかったり
靴下が片方だけ行方不明だったりすることもあるかもしれん。
そんな些細なことでさえ、
心が動く瞬間があるじゃろう?
こんなにも色とりどりの感情を持てるのは、
地球に生きる存在の中でわしが知っているのは「人間」だけじゃ。
笑って、泣いて、怒って、迷って…
その全部が備わっているというのは、
なんとも尊い奇跡。
じゃからこそ、お主のその揺れ動く心は、
「人間である・生きている」ことの、かけがえのない証なんじゃ。
とは言ってもそうは思えん瞬間あるよな
そんなときは、せんべいでも食べながら、噛むことだけに意識を向けてみるんじゃ。
思考で忙しいときは、どんなに良い情報も受け付けないもんじゃ。
でな
感情が動くというのは、
まだ「お主は生きている」ということなんじゃ。
わしらの魂はのう、
喜びも、悲しみも、怒りも、
全部「感情」という形を通して、
「自分がここに在る・存在している」ことを感じさせてくれるんじゃ。
わし思うんじゃ。
「感じられる」ということ自体が、
実はとんでもないギフトなんじゃ。
呼吸ひとつ。
ご飯を食べること。
誰かと目が合うこと。
まばたきすることさえも
嫌だな〜と思うことすらも
本当はどれも「当たり前」ではないなと。
当たり前に感じとったその一つ一つが、
実はとんでもなく尊い。
でもな…
「感情」に飲み込まれてしまう日も、
そりゃあ、ある。
「もう、やだ」
「こんな気持ち、いらんわい」
そう思うこともあるじゃろう。
じゃが、わしは知っとる!
その日も、きっといつか「ええ日」になる!!!
今の「痛み」も、未来で「宝」になることがある。
・つらくて泣いた夜 → 大切な人の優しさに気づいた
・怒りでぶつかった日 → 本音で話せた
・うまく言えなかった日 → 言葉の重みを知った
そんなふうに、
あのときの自分が、後になって「ありがとう」って思えること、あるじゃろう
ちなみにのう、 感情でぐちゃぐちゃになったときは、 わしは空でこう叫んでおる。
「うおーーーー!!!」
言葉にならん感情をそのまんま空に放って、
光をイメージして雲をぶった切るような気持ちでな。
誰にも見られんところで、身体も一緒にぶんぶん動かして叫ぶと、
心の中が少しずつほどけていくんじゃよ。
そのぐちゃぐちゃさえも、ちゃーんと味わえてる証拠じゃからな。
わしは、そんなときこそ「生きとるのう〜」と実感しとる。
お主の感情は、生きておる証。生きている間にたくさん感じてな
どんな日も、それで上出来じゃ。
じゃあの♡