なぜ人は疑うのか?
相手に対し「信じたいのに、疑ってしまう」
自分に対し「信じたいのに、疑ってしまう」
そんな気持ちが、頭の中でぐるぐるすることありませんか?
- 大好きな人を信じたいのに、ふとした瞬間に「本当に?」と疑ってしまう。
- やってみたいことがあるのに、「どうせ無理だよ」と可能性を消してしまう。
- 誰かに褒められても「お世辞かもしれない」「本心じゃないかも」と思ってしまう。
「疑うより信じる方が気持ちがいい」って、歌詞もありますよね^^
「疑いたくない」と思っているのに、頭の奥では止められない。
でも、その「疑い」の正体がわかると、少し気持ちが軽くなるかもしれません。
疑うのは機能?
疑うのは、本来 「自分を守るため」 に備わっている機能です。
昔、信じた人に裏切られたことがあると…?
「また同じことが起きるかも」と思ってしまう。
過去に挑戦して失敗したことがあると…?
「また傷つくのは嫌だな」と不安になる。
疑うことそのものが悪いわけではないんです。
むしろ、「自分がこれ以上傷つかないように」って、心が一生懸命、じぶんを守ってくれている。
ただ、ひとつ気をつけたいのは、
「本当に”今も”、その疑いが必要なのか?」 ということ。
過去は確かにそうだったかもしれない。
でも、「今の自分」にとって、それが本当に正しいとは限らないんです。
わたしの体験談
お得意のわたしの体験談なんですけどね♡
✔️何か楽しいことがあっても「これって続くのかな?」と疑っていた。
喜びを素直に受け取れなくなっていた。
✔️愛しているよと言われても「本当に?」と言っていた
✔️何か新しいことに挑戦したいのに、「どうせ失敗する」と自分を疑っていた。
すると、動けなくなっていた。
「疑うのをやめよう!」と言われても、そんなに簡単には切り替えられないですよね。
そんなのは自分が一番わかっているから。
しかし、少しずつ「ゆるめる」ことはできるかもしれません。
自分への問いかけ
疑いが生まれたとき、それすらもノイーズの影響です。
- 「この疑いは、本当に必要?」
- 「もし疑わなかったら、どんな気持ちになる?」
- 「これは過去の経験のノイーズの声?」
- 「もう少し素直に見てみたらどうだろう?」
疑いを嫌って消すのではなく「疑いと寄り添って向き合う」。
疑いは、心が発するサインのひとつ。
だから、それを無理に押さえつけなくてもいい。
ただ、「これは本当に今の自分に必要?」と、一度冷静に見つめてみるだけで、少し違ってくるんです。
白黒つけなくてもいい。グレーでもいい。
もう1つ。
「信じるべき」「疑うべき」って、白黒つけなくてもいい、というやり方もあります。
- 100%信じられなくても、ちょっとでも信じたいなら、それでいい。
- もし疑いが湧いてきても、それは「悪いこと」じゃない。
- 信じるのも、疑うのも、自分のペースで決めていい。
どちらかを選ばなきゃいけないわけじゃない。
心が「少し信じてみようかな」と思えたら、その感覚を大事にすればいいんです。
「すべては流れの中にある」。
何かを信じても、もし違ったら、そのとき修正すればいい。
誰かを信じても、もし裏切られたら、その経験を次に活かせばいい。
すべては流れていくものだから。
さいごに
疑いが、全てダメじゃない。
でも、その疑いを「必要以上に強く持ちすぎない」ことが、もっと楽に生きるカギです。
「完璧に信じられないならダメ!」なんてことはない。
「疑いがゼロにならないからダメ!」なんてこともない。
ちょっとだけ「疑わない自分」も試してみてもいい。
✔️ちょっと信じてみる
✔️ちょっと疑いを手放してみる
✔️ちょっと素直に受け取ってみる。
信じたい気持ちと、疑う気持ち。
どちらも大切にしながら、ほんの少しずつ「楽なほう」を選んでいけたら、それでいい。
疑いの声が聞こえてきたら、
「うんうん、そう思うよね。でも、少し信じてみたらどうなる?」
そんなふうに、自分と優しく対話しながら。
信じることも、疑うことも、どっちを選んでもOK。
ただ…
「もっと楽な気持ちになれる”思考の選択”」を、じぶんに許してもいいんです。
