でも今日は、久しぶりに
わたしの内側のことをシェアさせてください^^
最近、わたし自身にとって大きな「気づき」があったんです。
テーマは…「存在の他者依存」。
もし、大切な人がいなくなったら?
自分の存在ってどうなると感じますか?
と、いうのもですね、
先週、父が倒れ救急車で運ばれ、余命まで宣告されました。
その日に、母が急に歩けなくなったんです。
庭から一歩も足が動かなくなってしまったんです
現在は…なんと!!!父は元気になりました😭
お医者さんもびっくりしています。
母は別の手術を控えているものの、足は動くようになったんです✨
とはいえ、あの日はほんとうに色々なことが重なりました。
ありがたいことに「こうなる仕組み」を知っていたので、
「ただの悲劇」とか「良くないこと」では捉えていません。
それでも…
父と母が、同時にこの世界から居なくなってしまうかもしれない。
そんな想いが、ドバッと押し寄せて、涙が止まりませんでした。
もう二度と父と会えないかも。
母も、もう歩けなくなるのかも。
そんな想いから、二人に感謝の手紙まで書いていたんです。
この世界の仕組みを知っていても
「悲しいものは、ちゃんと悲しい」そんなじぶんの方が好きです。
でも、
胸にぽっかりと穴が空いたような感覚は、ちょっとこれは、何か違うぞ!と思いました。
ふわふわして、地に足がつかないような。
そんな状態の中で、ある気づきが起きました。
「両親がそばにいてくれることで、わたしの存在が確立していた」
「両親がいないと、わたしの存在が揺らぐ」
これは、両親に限らず、
わたしは、旦那さんや息子に対しても、同じ感覚をもっているんです。
感情が揺らぐのではなく
自分の存在が揺らぐ。
✔️誰かに必要とされてる
✔️誰かとつながってる
そんな状態があるからこそ
「わたしが在る」と思っているような状態
それって
「わたしの存在は、他者によって成り立っている」
という、とても不安定な土台。
もちろん、大切な人と一緒にいられる喜びは素敵なこと。
でも、「存在が揺らぐ」という感覚は
わたしが、わたしとして成り立っていないよ。というサインなんです。
存在とは
✔️誰かとの関係があってもなくても
✔️何かがうまくいってもいかなくても
「今ここに、わたしは在る」
と、わたし単体でドスンと感じられるもの。
それが「存在確定」🌟
逆に、それがないと…?🤔「存在未確定」。
存在未確定のままだと、
不足から補う動きになって、マイナスの出発になるんです。
現実創造も、マイナスの位置からの出発点。
だから、こんなに頑張ってるのに…なんで?ってなっちゃう。
あの日の、あの急なぽっかり感。
あれは、わたしの「存在軸」が他者に依存していたという
気づきのギフトだった。
✔️他者に支えられていることに感謝しつつ
✔️それがなくても「わたしは在る」と感じられること
✔️その状態こそが、本当のパワー!生命力
これに気づけた今、
存在の軸を自分の中心に戻すことで
もっと生命力もパワーも自然と戻ってくると感じています。
急に現れる「ぽっかり感」は
人生の中で、自分の存在を見直すチャンスかもしれません。
他者の存在に感謝しながら
「わたしは在る」と普通に自然に思えるその感覚。
それが、わたしたちの根っこの力、
はじまりの源と繋がっている、存在の確定
